この文章はもともと大学の表象文化論Ⅱ(簡単に説明すれば映像文化史)のレポートで書こうと思っていた文章ですが、折角考えたのだから書いてしまおうと思って書いたものです。ちなみにそのレポートでは映画「マトリックス」について映画史からの観点を取り上げたのですが、実は映画「ファイナルファンタジー」のレポートも書きたかったので本を揃えたのですが時間が足りず、結局マトリックスだけのレポートとなってしまったのが残念でした。ならこの気持ちを昇華するためにblogにでも書いてしまおうと思い、こうして書くに至ったわけです。
レポートの議題は
「映像作品の分析」
なのでそれを書いていきます。
長いので詳細は続きから
レポートの議題は
「映像作品の分析」
なのでそれを書いていきます。
長いので詳細は続きから
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序文
2011年現在 写実的なCGはゲームのカットシーンとして広く製作されており、ゲーマーたちは気づいていないが多く存在することは確かだ。しかし映画となると話は違ってくる、今日まで公開されてきた多くのフルCG映画はアニメ調のが多く、写実的に表現されたCG映画となるととても少ない。
その少ないフォトリアルなCG映画の初まりといっていい代表作である映画「ファイナルファンタジー」の作品の意義について論じていきたいと考えている
第1章:映画とゲームのはざま
この映画版ファイナルファンタジーという構想は1997年に発売された同社のゲーム"ファイナルファンタジー7"から始まっている。
このゲームのカットシーン(ゲームと物語の間を動画で説明・補足する部分)のためにCGで作られた動画が作られ、映像の長さは全部で約50分とそれなりの長さだ。
この映像製作で監督の坂口博信は自分達が作ったCGのレベルの低さに気づき、そのステップアップのため、この映画を企画した。
この企画には映画"トイストーリー"に影響されたものでもあるものだ。トイストーリーは予算と時間がかかりすぎて無理だといわれてたフルCG映画を製作し、90分の長編映画を作れることを世に示した作品だ。
この映画のあと様々なCG映画の企画が立ち上がったが、ほとんどが企画倒れとなり、出来たとしても一部実写を使っていたり手描きのアニメだったりしている。
2009年12月に公開されたAvaterも1996年に上がった企画の時点で何回も延期を繰り返し、公開されたのは開始から13年後ととても長い時間がかかった。
ゲームと映画"ファイナルファンタジー"の共通点は「CG」というところだ。1990年代中盤のプレイステーションやセガサターン、ニンテンドー64といったゲーム機で、CGや動画してのカットシーンを組み込めるようになったのが大きく関わってる。
映画的なゲームを目指していた「ファイナルファンタジー」は、CGという点で坂口氏は「ゲーム機が進化するにしたがって、CGという点でCG映画と対立するのではないか?」とも考えていたのだ。
その時に備え、ステップアップするためにファイナルファンタジーの映画の企画は始まっていった。
第2章:困難な製作・膨れ上がる予算
96年に製作を思い立った坂口は、アメリカのCG製作会社を見て周った。フルCG映画という時点で膨大な予算がかかることを察していたので制作費を回収するために、大作映画として打ち出す必要がった。そのためには大作映画が多いハリウッドの力が必要となったのだ。
映画「ストリートファイター」(主演:ヴァンダム)をプロデュースしたプロデューサー会田純と出会い、アメリカのハワイを拠点に製作することが決まった。
初めスタッフは3人だったが日本人スタッフはすぐ集まり、アニメ・CG・CM業界から30人ほどハワイにある製作スタジオに集まった。
しかしアメリカ人スタッフはなかなか集まらず、一人来てはその仲間の何人か来てといった具合で何とか集まった。なかなか集まらなかった原因は映画業界でのスクウェアの知名度が低かったことと、この映画がキャリアに影響が出ないかという問題もあったからだ。
スタジオは97年5月に開設され、
だが98年に一度大きく脚本が変わってしまう。そのため今まで製作してきたCGは使えなくなり、完成の見通しが見えなくなってしまった。
第3章:興行的な失敗とその原因
興行的な失敗の原因のひとつに予算をかけすぎたというのがある。確かに制作費だけなら157億円と相当な額で、これは普通ハリウッドで製作される映画の予算の二倍にあたる。
ここまで予算が掛かってしまった原因には二つある。一つは途中で脚本が変わり製作期間が延びてしまったことと、二つ目は製作を早めるための更なる人員投入があったからだ。
実写映画にCGが本格的に初めて使われた映画「トロン」でかけられれた予算は約30億円ぐらいで、当時も大変だったがなんとか回収できたぐらい。CGの予算を抑えるために所々CGっぽいアニメで表現していることも頭に入れておいてほしい。
もちろんフルCGの映画を作るのが初めてで、必要な機材・ソフトウェアを整える必要もあった。
それに普通の映画の二倍の予算がかけられたのには理由がある、「日本製作で初めての長編フルCG映画」として世界に向けて発信するということと、同時期に他の製作会社の計画がことごとく頓挫したためである。
しかし世界で売り込むには弱点があった、ゲーム会社としての認知度はともかく映画会社としてのスクウェアの認知度がとても低かったことと。同時期にアメリカでは"最終絶叫計画"や"キャッツ&ドックス","キューティーブロンド"といったコメディ映画と同時期に公開してしまったのもあった
それに日本ではジュラシックパークⅢの公開延期のせいでファイナルファンタジーの公開日も伸びてしまい最終的には9月15日に公開が決定したのも関係あるだろう。
制作費増大、キラータイトルと衝突、知名度の低さが原因となって(もちろん原因はこれ以外にもあるのだが)興行的には失敗してしまった。
ゲームの監督が、映画製作に興味を持つことに不思議はない。なぜなら多くのゲームではカットシーンが使われ、それを監督してゆく内に「映像の魔力」に囚われてしまうことも不思議はないからだ。
第4章:「ファイナルファンタジー」意義
このファイナルファンタジーの何がCG映画として革新的なのかはリアルなCGで人間を描き、CG映画として人間の生死について描いたところだ。
第5章:「ファイナルファンタジー」と「ファイナルファンタジー7アドベントチルドレン」
この映画が酷評されたのは、ファン達が求めていた世界観のFF映画を作らなかったこともあるだろう。
この映画がもし「ファイナルファンタジー」ではないタイトルだったらまた違った評価をされたに違いない。
そのファンとの溝を解消するように、FF7の数年後を舞台とした"ファイナルファンタジー7アドベントチルドレン"が製作された。
この製作の詳しい経緯がわからないが、もう一度スクエアが映像に手を出したことは驚きだ。
しかしこれは映画ではなくOVAである。観たことはないがメイキングによると映画のファイナルファンタジーはなかったことにされてしまっているようだ
特定のファンに向けたFF7AC、大多数に向けた映画FF。どちらも大多数に相手はされたが、特定のファンだけに絞られ創られたFF7ACの評価が高いことは考えるに難しくはないだろう。
第6章:わかっていないのは製作側か観客か
第6章:未来に繋げるために
参考文献
・メイキング・オブ・ファイナルファンタジー
編集:宮崎秀規
出版社:株式会社デジキューブ
出版年:2001年10月12日
全196ページ
・スーパービジュアルインパクト
著者:奥谷海人
出版社:株式会社デジキューブ
出版年:2001年9月21日
全157ページ
・Final Fantasy Limited Collection
発行者:平沼久典
発行社:東宝株式会社
発行日:2001年9月15日
全26ページ+31ページ
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